萩藩の代表的な鋳造師であった郡司家の遺構。


郡司家は萩藩の鋳造師(ちゅうぞう=金属を加熱・溶解し、これに形を持たせた鋳造に流し込み凝固させ、所定の形状の製品を作る金属の加工技術です)で、江戸時代を通じて鍋・犂先(すきさき)などの生活用具だけでなく、大きな様式大砲など兵器に至るまで、多様な銅・鉄製品を鋳造しました。

長州藩に召しかからえた郡司讃岐を中興を成しとげた祖先とし、その子孫は八家に分かれています。それぞれ長州藩で鋳物師や砲術師として活躍しているのですが、中でも三男・喜兵衛は、萩は松本の細工場を受け継ぐ。これは現在の郡司鋳造所遺構のはじまりでした。

大砲のレプリカが展示してあります。


郡司家が鋳造した大砲は、下関戦争が原因でほぼ行方不明になっています。文久3年(1863年)に長州藩は下関海峡を通過する外国船を3度にわたり攻撃したのですが、イギリス・フランス・オランダ・アメリカ、そして四国の連合艦隊は、翌年の元治元年(1864年)に下関沿岸砲台に報復攻撃。これにより各砲台は壊滅状態に。それぞれの砲台は破壊もしくは戦利品として持ち帰ったため、国内はもちろん欧米にもわずかな数しか残っていません。ちなみに下関戦争では24ポンド砲や32ポンド砲が使用されています。

写真は大砲のレプリカなので本物ではありません。

巨大な石組み大砲鋳造遺構は日本でも唯一。


写真のように3つの窯で銅や鉄を溶かし、真ん中の鋳型に流して固めていたとされています。実は今までどのような方法で大砲を作っていたのか分かっていなかったのですが、平成12年(2000年)に山口県埋蔵文化財センターが行った発掘調査により、石組や大砲鋳造遺構をはじめ、実際に使用された鋳型も多数発見。これらの情報を合わせると、写真のように鋳造していたと考えられるそうです。実際に発掘された郡司鋳造所関連のものは、萩博物館に展示されており、山口県の有形文化財に指定されています。

観光地としての魅力はイマイチ。


ただ郡司鋳造所については世間的に知られていないのか、萩においては他の観光地の方が魅力なのか、連休にあったにもかかわらず人はほとんどいませんでした。やはり実際に使用された現物でないと観光客の方は魅力を感じないのだろうか。松陰神社のすぐ傍にあるので(徒歩2~3分)足を運ぶのは全然アリかと思いましたけど・・・。

基本情報

場所萩市椿東
松陰神社の近くにありますので、その周辺の駐車場へ停めていただくと徒歩2~3分くらいです。
交通アクセス①松陰神社より徒歩2分
バリアフリー広場は平たんな道なので問題ありませんが、一部の展示物は階段を登るため難しいと思います。
観光客の多ささほど知名度も高くないですし展示物もレプリカということで観光客はほぼいない。連休でもほぼ松陰神社に流れているため少ない。
観光の所要時間10分前後
料金無料
営業時間通年
休館日無休
駐車場なし(松陰神社周辺の駐車場へ)
周辺施設トイレ、お土産、飲食店
(松陰神社周辺です)
周辺の観光地松陰神社(徒歩で約3分)
松下村塾(徒歩で約3分)
玉木文之進旧宅(車で約4分)
伊藤博文旧宅(車で約5分)
周辺のスポット東光寺(桜/4月)
管理人からたしかに観光地としての魅力はやや低いが、大砲があるので撮影するのは面白い。また松陰神社と近くということで「ついで」に立ち寄るのであれば有りだと思います。

ちなみに本物の大砲の1つが長府博物館に展示してあるらしいので、遠いですけど興味のある方は問い合わせて行ってみてください。

地図