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萩に現存する門では最大規模。
口羽家は毛利氏の庶流(本家から分かれた家柄、分家)で、元は石見国邑智郡口羽村(島根)を領した用路城主でした。関ヶ原の戦いの後、毛利氏と共に萩に移っています。
関ヶ原の戦いの後、口羽氏の始祖ともいえる就通は延宝2年(1674年)に藩の寄組という家格になり、禄高1018石余を所有。その後も5代目房通、7代目良介と、口羽家は代々藩の要職を勤めています。
写真の表門は、萩に残っている長屋門としては最も規模が大きい。建物の桁の長さ(一棟の長さ)は22.2m、梁間4.9mで、本瓦葺です。白壁となまこ色のコントラストが美しく歴史を感じる。一般的な民家の中に、この建物がポツンとあると目立つのですが、萩市の堀内地区はこのような歴史のある建物が多く、馴染んでました。
門をくぐると門番所、中間部屋、厩(うまや=馬を飼育する部屋)がある。この表門と主屋が揃って残るものは少なく、かつ現存する屋敷としては古い。全国的にも価値のある武家屋敷です。
表門の建物面積108.827㎡(木造一部中2階本瓦葺)
表門と主屋が残る貴重な武家屋敷。
主屋(おもや)は切妻造り(きりづま)桟瓦葺屋根(さんがわらやね)の東側に、入母屋造り(いりもや)の突出部がある。切妻造りとは屋根の最長部の棟から地に向かって二方向に屋根が流れていく形。本を伏せたような形状した屋根のこと。桟瓦葺とは屋根の下板に横桟を打ち、そこに瓦の端の¬をひっかける江戸時代に発明された工法。使用する瓦の量が減り、屋根を軽く作れる利点があります。
武者隠しの名残と考えられる相の間。
これは相の間と呼ばれる、2つの部屋の間にある小部屋です。小部屋というか2畳のスペースという感じでした。ここは主人を警護するために家来が身を隠していた小部屋で、板ではきしむ音がするため、写真のように畳となっています。
住宅内に展示してある武器。
先ほどの相の間に、「袖がらみ」という罪人を逮捕するために用いた武器が置いてあります。別名「もじり」とも。中国の狼牙棒(ろくろがぼう)が原型と言われる。使い方は先端の金属に頭髪や衣類を絡めて引き倒すとのこと。鉄釘を打ちつけてあるのは相手が握れないようにするためです。当時の警備が厳重であったことがよく分かります。
押入れに見せかけた殿の非常口。
写真は一見、押入れに見えますけど、実は戸なんです。これは殿の非常口として作られたもので、押入れと見せかけて外に繋がっています。これは全国的にも珍しい造り。
毛利家の分家である証拠となる家紋。
長屋門頂上(鬼瓦の部分)に毛利家の分家である家紋が見えます。毛利本家は一文字三ッ星ですが、二文字に三ッ星は分家の証。そして軒先には口羽家の家紋が入ってます。
基本情報
場所 | 萩市堀内 周辺には駐車場がありませんので、萩資料館(指月公園)周辺の駐車場へ停めて、徒歩で10分くらいにあります。 |
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交通アクセス | ①玉江駅より徒歩15分 ②美祢東JCTより車で20分 ③絵堂ICより車で20分 ④萩指月公園より徒歩10分 |
バリアフリー | 入館する際もやや段差があり、また屋内も同様です。車椅子等で回るのは難しいと思われます。 |
観光客の多さ | ここまで徒歩ということが原因なのか観光客は少ない。平日であれば誰もいない可能性もある。 |
観光の所要時間 | 15~20分 |
料金 | 100円 |
営業時間 | 9:00~17:00 |
休館日 | 12/30~1/3、8/13~15 |
駐車場 | なし |
周辺施設 | なし |
周辺の観光地 | 萩城跡指月公園(徒歩で約15分) 旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(徒歩で約10分) 天樹院墓所(徒歩で約6分) 堀内 鍵曲(徒歩で約2分) |
周辺のスポット | 萩城跡(桜/4月) かんきつ公園(夏みかん/6月) 菊ヶ浜(花火大会/7月) |
管理人から | 城の城門のような正門と、城下町の雰囲気が良いなまこ壁。屋内は武者隠しとしての相の間など、管理人もそれほど期待していなかったが見どころが多い観光スポット。おそらく近辺に駐車場があればもっと観光客の方は来てくれるような気がします。 |