松下村塾の創立者であり松陰の叔父にあたる人物。

玉木文之進旧宅_01
玉木文之進旧宅_02
藩士杉七兵衛の三男。文之進は通称。名は「まさかぬ」。

玉木文之進旧宅は松陰神社の近くにあり、旧宅前には「松下村塾発祥之所」と刻まれた石碑が立っています。建物は木造茅葺の平屋建て41.76㎡。8畳の座敷と4畳の畳部屋。そして3畳半の玄関に4畳半の板間と土屋の台所があります。

松下村塾といえば吉田松陰の名前がすぐに出てきますが、創始したのはこの玉木文之進。「吉田松陰にスパルタ教育した人物」という風にすると覚えやすい。

11歳で玉木家を継ぎ、天保7年(1836年)の27歳の時に幼少の吉田松陰の代理教授として明倫館していたが、部下の不始末が原因で免職となる。そして天保13年のとき自宅で松下村塾を創始し教育にあたる。

藩政に復帰し多忙となったため嘉永元年(1848年)に松下村塾を廃止。その後は藩校明倫館塾頭、異船防禦掛(いせんぼうぎょがかり)を歴任し、小郡や上関など諸郡の代官として尽力しました。そして明治2年(1869年)に隠居し、松下村塾を再興する。

しかし、明治9年に門下生である前原一誠が中心となって起こした萩の乱を阻止できず、その直後「このような反乱の徒を輩出したのは、わが教育の罪である」とし、先祖のある墓が建つ山へ登り自害した。そのときに介錯したのは当時40歳の松陰の妹「お芳」。享年67歳。

屋内は人物画が展示してあるだけとやや寂しい。

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一室には玉木文之進の人物画が。教えは大変に厳しかったようで、心なしかこの顔立ちを見て納得というところ。読書中に顔が痒くなり、手で顔を掻いた松陰を殴ったこともあったそうです。学問の最中に私事を行うのは言語道断という考えだったのでしょう。

と、かなりインパクトの強い人物であると分かりますが、この旧宅で見るところと言えば、この座敷しかありませんでした。ゆかりの品でもあれば良かったのですが。

基本情報

場所 〒758-0011
山口県萩市椿東1584-1
松陰神社より車で3~4分。松陰神社正面脇の道をまっすぐ走ると着きます。ただし道は広くありませんので対向車に注意しましょう。
交通アクセス ①「東光寺前」バス停徒歩5分
②「松陰神社前」バス停徒歩10分
③美祢東JCTから国道490・262号、県道32号経由30分
バリアフリー 不明
観光客の多さ 大型バスが入れない、かつ知名度が低いので観光客は少ない。3連休の真ん中でも30人来るか来ないか。ただし大型連休になると200人前後と多い。
観光の所要時間 5~10分
料金 無料
営業時間 9:00~17:00
休館日 無休
駐車場 4~5台程度
※大型車不可
周辺施設 なし
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松下村塾(車で約3分)
伊藤博文旧宅(車で約5分)
伊藤博文別邸(車で約5分)
吉田松陰誕生地(車で約10分)
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管理人から せっかく松陰神社内の松下村塾を見るならここ玉木文之進旧宅も見ていただきたい。旧宅自体は狭く観光地としては物足りませんが、インターネット上にも情報は少なく、いわゆる穴場だと思いました。大型車が通れないのは難点なので、ここをどうにか改善して欲しい。ちなみに松陰神社から歩いて行けない距離ではありません。

地図